
画像は最近製作したカスタムピアス。
お客様からうれしい感想のメッセージもいただきました。
こういったメッセージは本当に励みになります!
なんというか内側からやる気が湧き上がってきますね。
詳細は後日HP、ブログ等にて。
今日は年末なんでたまには何も考えない時間を作るか…と思いましたが掃除をしてる最中
作業に役立つ新しい工具を思いつく
↓
作る
↓
脳が仕事モードになる
↓
仕事をする
で、結局いつもどおりの日常に…(笑)
今年もたくさんのお客様にケツァールの製品を購入していただき、本当にありがたいです。
思えば専門学校含めこの業界に入り10年ほど経ちます。
最近は自分が頭に思い浮かぶ理想のデザインを、ほぼそのままの形で出力することができるようになっているので、今までやってきたこと、考えてきたことの積み重ねが決して無駄じゃなかったという自信がつきました。
この職業は自分の天職だろうな、とも感じます。
しかしその「職」もお客様あってのもの。
来年もお客様に満足していただける製品が作れるよう100パーセントの力で製作をしていこうと思います。
本年も誠にありがとうございました!
来年もケツァール共々よろしくお願い申し上げます。
http://quetzal-jewelry.com/
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こういうデザインが好きです。
ヨーロッパ特有のエレガントさの中に、見え隠れする遊び心や土臭さ。
なんていうんでしょうね、日本人にはあまり思いつかないデザインというか…。
日本人が描くヨーロッパ的なものは、「カッコイイ」といった印象で、遊び心が少ない印象があります。
こういう中世ヨーロッパ風のデザインは日本にもたくさんあるんですが、なんとなく、全体的に今一歩詰めが甘い印象があります。
それは日本人がこういったヨーロッパ的なものに憧れはあるものの、本当に歴史のある欧州の建物、デザインに囲まれて育ってはいないので、どうしても、「日本人が考える、ヨーロッパ的なもの」の範疇に収まってしまいることに、原因があるのかなぁ、と考えます。
例えると、欧米の人間が描く、日本、日本人像。
ハリウッドの精鋭が集まって製作した大作映画でも、どうしても、「あれ?なんか日本と中国ごっちゃになってね?」というものが、多々見受けられますよね。
最近聞いて印象的だった話が、「天空の城 ラピュタ」を外国人が見た場合について。
日本人が見ると、その世界観には特に違和感は感じないのですが、ヨーロッパの人が見ると、鉱山と背景がイギリス的、軍と機械がドイツ的、生活観と人間の気質がイタリア的で、上記したハリウッド映画のように、違和感を感じてしまうそうです。(一部の人間だけかもしれませんが。)
まぁその感覚が独自に発展して、アニメ、ゲーム等の日本独特のサブカルチャーが形成されているというプラスの面ももちろんあるので、それが一概に悪いともいえないのですが、やはり、その根本的な「ヨーロッパ的な美しさ」の源流まで遡った方が、いい作品が生まれるのではないでしょうか。
「ファッション」というジャンルで考えると、日本人も、ヨーロッパ、アメリカのファッションの歴史、技術等を体系的に学習し、高いクオリティを誇っている気はするのですが、ジュエリーに多用される、装飾的なもの(建築装飾や、調度品の細部の装飾などのデザイン理論)は、まだあまり掘り下げられていない気がするのです。
なので、そこをもうちょっと掘り下げることができれば、ジュエリーデザインの、新しい可能性が広がるのだと思うのです。
…みたいな事を考えていて、いざもうちょっと深く勉強しよう、と色々資料を探してみたものの、いかんせん日本語のものでは参考になる物が少なく…。
表面の要点は捉えているのですが、深いところまではどうしても届かない印象が。
まぁ当然ですよね。
例えば日本の伝統的な装飾について、外国人より、日本人の方が詳しいのは当然な事であって。
つまり何が言いたいのかというと、「英語覚えなきゃな~」ってなことです。
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突然ですが、僕は「カウボーイビバップ」というアニメがかなり好きです。
「カウボーイビバップ」とは ※以下、wikipedia参照
[2071年の火星を中心とした太陽系を舞台に、宇宙船「ビバップ号」に乗って旅する賞金稼ぎ、スパイク・スピーゲル、ジェット・ブラック、フェイ・ヴァレンタインら乗組員の活躍を描くハードボイルドタッチのSFアニメである。
『傷だらけの天使』や『探偵物語』といった70年代のTVドラマや、『スティング』や『ゲッタウェイ』などのアメリカン・ニューシネマ、ジョン・ウー監督による『男たちの挽歌』シリーズ、『ルパン三世』や『銀河旋風ブライガー』他J9シリーズ、『コブラ』といったアニメ作品をイメージした作風が特徴。『ビバップ』というタイトルどおりジャズを始め、ブルース、ロック、テクノ等のおよそSF作品には似つかわしくないと思われるポップ・ミュージックをBGMとしてふんだんに使用している。]

まぁ今から10何年か前のSFアニメなんですが、中学生の頃、wowowで深夜にやっていたのをなんとなく見て、そのおもしろさから、かなりハマッてしまった作品です。
只のアニメだと思ったら侮ること無かれ。
今の大人が見ても全然楽しめる、非常にクオリティの高い作品です。
作画、演出、脚本、音楽など、その全てにおいて、ハイレベル・ハイセンスでした。
スタッフ達が「歴史に残るような作品を残そう」とでも思ってるかのような、気合の入れ方です。今見ても、全く色褪せません。
日本ではそこまで有名ではありませんが、世界中で高い評価を得ているそうです。
上にあるように昔の名作と言われる映画や小説、音楽など、「男がかっこいい、渋いと思うもの」を主なルーツとしていて、当時中学生の、中二病真っ盛りな少年には、どストライクな内容だった訳です。
何より主人公の生き様が格好良く、憧れたもんです。
今の大人が見たら「おもしろいアニメだな」という感想くらいになっちゃうのかもしれませんが、やはりその時期に見たという事に、大きな意味があったんでしょう。
個人的には同時期にやってたエヴァよりこっちの方が好きです。
で、なんでこんな話を急にしだしたかというと、たまたまこのアニメの動画を見つけて、当時を懐かしく思って見てたのですが、よくよく考えると、このアニメが今の自分のルーツになってるんじゃないかな、ってことを考え出しちゃったんですよ。
同じクリエイティブとはいえ、アクセサリーの作風がこのアニメに似てるという訳でもないですし、それを匂わせるような表現をしている訳でもありません。
只、おおまかな定義での「ものづくり」というものにおいて、僕にとって完成された作品が、この「カウボーイビバップ」な訳です。
なので、作品を作ってる時、写真を撮っている時、絵を描いてる時、クリエイティブに関わるあらゆる物事をやっている時に、無意識下で「これ」の背中を追ってるような気がするのです。
この頃に受けた影響ってのは一生続くもんだと思ってます。
なので、多分一生コレの背中を追い続けるんでしょう。
とりあえず興味が湧いた方はチェックを!
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Quetzalの作品は、「精密さ」を意識しています。
正直、今までのシルバーアクセサリー・ファッションアクセサリーというものは、そこまで精密さは重要視されていませんでした。
ですが僕は、そこに違和感を感じざるをえませんでした。
古来より、あらゆるクリエイティブの領域に置いて、一種の「精密さ」というのは、ある種、万人に最も受け入れられやすい、確立した価値観だったように思います。
建築物、絵画、彫刻、金工など、あらゆるジャンルで、「精密であればあるほどいいものだ」という価値観が、今までのスタンダードだったのではないでしょうか。
「概念」が重要視される現代アートや、「風合い」が求められるような一部のジャンルを除いては(それでも一定水準以上のクオリティは求められますが)、未だにその価値観は続いているものだと思います。
ジュエリーだってそうです。
一般的に価値が高いとされている、一流ブランドのハイジュエリー、歴史的なジュエリー、こちらの作品群は、一部の例外を除き、そのほとんどが緻密で高い技術力を持って作られた作品たちです。
そういったものが多い中で、何故アクセサリー(主にシルバーアクセ)に精密さが求められないのか?
前々から疑問に思っていたことです。
やはりそれはシルバーアクセのルーツにあるように思います。
アメリカ人たちの大雑把でワイルドな価値観、これが元になっているので、「大味なアクセサリー=味があってかっこいい」のような図式になっている、そんな風に感じます。
僕の好みからいったら、その価値観はあまり好きじゃありません。
(個人的にアメリカよりも、ヨーロッパの国々の方が文化面などで惹かれる所が多いので、それも原因かも。)
まぁそこは人それぞれと言われるかもしれませんが、それを言っちゃあ物事への理解が深まらんのです。
ということで偏見混じりな事は承知で、語っちゃてます。
そして「シルバーアクセサリー」が「シルバージュエリー」にランクアップしないのは、その辺の事もある気がするのです。
その大雑把さが取り除かれて、初めて「ジュエリー」として認められる気がするのです。
(でも最近は地金の高騰がヤバイので、素材価値的にはジュエリーと呼ばれるようになるのかもしれないですが…)
日本ではまたちょっと違いますが、英語圏ではアクセサリー=チープな安物、ジュエリー=そこそこのランクの装身具、という認識と聞きます。多かれ少なかれ、日本でもその感覚はあると思います。
古代に作られたアンティークジュエリーを模した作風や、風合いを重視したガーリーなアクセサリー、この辺りは精密さとはまた違う印象がありますが、その作風を出すためにそれなりの計算がなされているように感じるので、それも一種の「精密さ」なように思います。
それに近年では手軽に一般の人でもアクセサリー作りに挑戦しやすくなっているので、やはり「プロ」としてやっていくには一日一朝では追いつけないような、「卓越性」が必要になってくると思うのです。
それは作りだけではなく「ブランディング」の領域にもいえますね。
こんな事を書いてきましたが、昔と比べて、近年ではシルバーアクセ業界でも、大雑把さが売りのインポートよりも、精密さが売りのドメスティックが売れている、という話はチラホラ聞きます。
なのでこの調子で、精密でクリエイティビティの高い、アクセサリーが評価される市場になればいいな、と考えたりするのです。
こんなこと書いて、まーたハードル上がっちゃったよ(;´・ω・)
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正直、今までのシルバーアクセサリー・ファッションアクセサリーというものは、そこまで精密さは重要視されていませんでした。
ですが僕は、そこに違和感を感じざるをえませんでした。
古来より、あらゆるクリエイティブの領域に置いて、一種の「精密さ」というのは、ある種、万人に最も受け入れられやすい、確立した価値観だったように思います。
建築物、絵画、彫刻、金工など、あらゆるジャンルで、「精密であればあるほどいいものだ」という価値観が、今までのスタンダードだったのではないでしょうか。
「概念」が重要視される現代アートや、「風合い」が求められるような一部のジャンルを除いては(それでも一定水準以上のクオリティは求められますが)、未だにその価値観は続いているものだと思います。
ジュエリーだってそうです。
一般的に価値が高いとされている、一流ブランドのハイジュエリー、歴史的なジュエリー、こちらの作品群は、一部の例外を除き、そのほとんどが緻密で高い技術力を持って作られた作品たちです。
そういったものが多い中で、何故アクセサリー(主にシルバーアクセ)に精密さが求められないのか?
前々から疑問に思っていたことです。
やはりそれはシルバーアクセのルーツにあるように思います。
アメリカ人たちの大雑把でワイルドな価値観、これが元になっているので、「大味なアクセサリー=味があってかっこいい」のような図式になっている、そんな風に感じます。
僕の好みからいったら、その価値観はあまり好きじゃありません。
(個人的にアメリカよりも、ヨーロッパの国々の方が文化面などで惹かれる所が多いので、それも原因かも。)
まぁそこは人それぞれと言われるかもしれませんが、それを言っちゃあ物事への理解が深まらんのです。
ということで偏見混じりな事は承知で、語っちゃてます。
そして「シルバーアクセサリー」が「シルバージュエリー」にランクアップしないのは、その辺の事もある気がするのです。
その大雑把さが取り除かれて、初めて「ジュエリー」として認められる気がするのです。
(でも最近は地金の高騰がヤバイので、素材価値的にはジュエリーと呼ばれるようになるのかもしれないですが…)
日本ではまたちょっと違いますが、英語圏ではアクセサリー=チープな安物、ジュエリー=そこそこのランクの装身具、という認識と聞きます。多かれ少なかれ、日本でもその感覚はあると思います。
古代に作られたアンティークジュエリーを模した作風や、風合いを重視したガーリーなアクセサリー、この辺りは精密さとはまた違う印象がありますが、その作風を出すためにそれなりの計算がなされているように感じるので、それも一種の「精密さ」なように思います。
それに近年では手軽に一般の人でもアクセサリー作りに挑戦しやすくなっているので、やはり「プロ」としてやっていくには一日一朝では追いつけないような、「卓越性」が必要になってくると思うのです。
それは作りだけではなく「ブランディング」の領域にもいえますね。
こんな事を書いてきましたが、昔と比べて、近年ではシルバーアクセ業界でも、大雑把さが売りのインポートよりも、精密さが売りのドメスティックが売れている、という話はチラホラ聞きます。
なのでこの調子で、精密でクリエイティビティの高い、アクセサリーが評価される市場になればいいな、と考えたりするのです。
こんなこと書いて、まーたハードル上がっちゃったよ(;´・ω・)
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今回の東日本大震災では、数多くの命が失われました。
今までの何気ない日常は崩れ去り、「非日常」の日々が始まりました。
緩やかな日常が永遠に続くと思っていた大部分の人間に、大きなショックを与えた震災。
被災地の人間は元より、遠く離れた人間にも、人の命の脆さというものを知らしめ、人々の心にダメージを与えました。
復興に向けて精一杯頑張るのは至極当然の事です。
が、その前に今の現状をしっかり見つめる事が重要に思います。
今後、日本はありとあらゆる側面において厳しい状況を強いられると思います。
かなり、ネガティブな状況です。
原発の状況も悪化の一途を辿っています。
専門家によっては、収束まで50年、100年かかる可能性があるとも聞きます。
経済力の低下はもちろん、放射能の見えない恐怖が、今後国民を苦しめ続けます。
この状況下で、僕自身の考えにも変化がありました。
僕はここ1,2年頃前から、なぜか「死」というものを強く意識するようになりました。
別に死の危険が身近にあるわけでもなく、死にたいわけでもありません。
むしろ、死にたくないと強く思います。
なぜ"それ"がちらつくようになったのか。
何かきっかけがあったのかもしれませんが、忘れました。
が、その考えがあるおかげで、今の「生」を強く意識する事ができるようになりました。
生と死を意識するということは、生は有限であると感じる事。
その考えがベースにあるからこそ、自分の全てを生かせるであろう今の仕事、リスクの大きい生活を選んだというのもあります。
今回の震災で、よりその考えが強まりました。
より一層近くに「死」を感じます。
故に「生」もより一層強く感じる事ができます。
現代日本は「死」が隠され過ぎている気がします。
余りに隠されすぎていて、死と表裏一体である生を実感できない人間も多いのではないでしょうか。
汚い物には蓋をして、嫌な物にはモザイクをかける。
震災後の報道を見ていても、それを強く感じます。
以前から感じていたネガティブな事を言えない雰囲気、それが極まった感じです。
何が起こっても「安全、大丈夫」の連呼。
薄々危険な事は分かっていても、仕事、生活を言い訳にして知らないフリ。
こういった反応を見ていると、「死」を恐れ、「生」と真剣に向き合う事を避けている、そんな、人間の臆病さの様なものを感じます。
こんな事を考えていると、自分が今スカルジュエリーを作っているのは、そんな隠された「死」を表面に押し出して、忘れられた「生」を感じさせるための手段の様な気もしてきます。
ジュエリーについての考え方にも、変化がありました。
基本的にはジュエリーもファッションの一部で、流行に左右される消耗品です。
以前から100年後のアンティークというブランドコンセプトを掲げていたので、当ブランドが目指すものはそれとはちょっと違うのですが、流行という概念が根強く支配する「ファッション」の一部である事は確かです。
ですが、元々装身具というのは、古代からファッションとしての側面の他に、「御守り」としての側面も根強くありました。
現代ではどうしてもファッションとしての存在感が強いアクセサリーですが、
「不安定さを増す現代日本」
この時代、場所でしっくりくるのは、「おしゃれ」の一部というよりは、「精神的な支柱」としてのジュエリーだと感じます。
もちろん「ファッションアイテム」として優れている事は大前提での話です。
作り手が作品に特別な意味を込めて作る。
それも一つの形ですが、「そうしなければならない」という決まりはありません。
身に着ける人それぞれが、それぞれの意味をジュエリーに込めればいいことだと思います。
自分を飾るのと同時に、無意識下での安心感を与える事のできるジュエリー。
そんなものを作りたいと考えています。

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今までの何気ない日常は崩れ去り、「非日常」の日々が始まりました。
緩やかな日常が永遠に続くと思っていた大部分の人間に、大きなショックを与えた震災。
被災地の人間は元より、遠く離れた人間にも、人の命の脆さというものを知らしめ、人々の心にダメージを与えました。
復興に向けて精一杯頑張るのは至極当然の事です。
が、その前に今の現状をしっかり見つめる事が重要に思います。
今後、日本はありとあらゆる側面において厳しい状況を強いられると思います。
かなり、ネガティブな状況です。
原発の状況も悪化の一途を辿っています。
専門家によっては、収束まで50年、100年かかる可能性があるとも聞きます。
経済力の低下はもちろん、放射能の見えない恐怖が、今後国民を苦しめ続けます。
この状況下で、僕自身の考えにも変化がありました。
僕はここ1,2年頃前から、なぜか「死」というものを強く意識するようになりました。
別に死の危険が身近にあるわけでもなく、死にたいわけでもありません。
むしろ、死にたくないと強く思います。
なぜ"それ"がちらつくようになったのか。
何かきっかけがあったのかもしれませんが、忘れました。
が、その考えがあるおかげで、今の「生」を強く意識する事ができるようになりました。
生と死を意識するということは、生は有限であると感じる事。
その考えがベースにあるからこそ、自分の全てを生かせるであろう今の仕事、リスクの大きい生活を選んだというのもあります。
今回の震災で、よりその考えが強まりました。
より一層近くに「死」を感じます。
故に「生」もより一層強く感じる事ができます。
現代日本は「死」が隠され過ぎている気がします。
余りに隠されすぎていて、死と表裏一体である生を実感できない人間も多いのではないでしょうか。
汚い物には蓋をして、嫌な物にはモザイクをかける。
震災後の報道を見ていても、それを強く感じます。
以前から感じていたネガティブな事を言えない雰囲気、それが極まった感じです。
何が起こっても「安全、大丈夫」の連呼。
薄々危険な事は分かっていても、仕事、生活を言い訳にして知らないフリ。
こういった反応を見ていると、「死」を恐れ、「生」と真剣に向き合う事を避けている、そんな、人間の臆病さの様なものを感じます。
こんな事を考えていると、自分が今スカルジュエリーを作っているのは、そんな隠された「死」を表面に押し出して、忘れられた「生」を感じさせるための手段の様な気もしてきます。
ジュエリーについての考え方にも、変化がありました。
基本的にはジュエリーもファッションの一部で、流行に左右される消耗品です。
以前から100年後のアンティークというブランドコンセプトを掲げていたので、当ブランドが目指すものはそれとはちょっと違うのですが、流行という概念が根強く支配する「ファッション」の一部である事は確かです。
ですが、元々装身具というのは、古代からファッションとしての側面の他に、「御守り」としての側面も根強くありました。
現代ではどうしてもファッションとしての存在感が強いアクセサリーですが、
「不安定さを増す現代日本」
この時代、場所でしっくりくるのは、「おしゃれ」の一部というよりは、「精神的な支柱」としてのジュエリーだと感じます。
もちろん「ファッションアイテム」として優れている事は大前提での話です。
作り手が作品に特別な意味を込めて作る。
それも一つの形ですが、「そうしなければならない」という決まりはありません。
身に着ける人それぞれが、それぞれの意味をジュエリーに込めればいいことだと思います。
自分を飾るのと同時に、無意識下での安心感を与える事のできるジュエリー。
そんなものを作りたいと考えています。

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「Quetzal」というブランド名でアクセサリーの製作、販売をしております。このブログではブランド、作品についての情報や日々のつぶやきなどを記そうと思います。
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